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真珠。その神秘的で清廉な輝きを持つ存在は、古来より多くの人々の心を捕らえてきました。1800年代も半ばを過ぎ、時代が明治を迎える頃には日本も海外との交流が盛んになり、貴重な存在であった天然真珠が以前にも増して珍重されていきます。そして同時に御木本幸吉の故郷・伊勢志摩の海でも真珠の母貝となるアコヤ貝も乱獲され危機に瀕していました。「美しい真珠を守りたい。真珠を養殖すればそれが叶う」と奮い立った幸吉は、アコヤ貝の養殖と真珠作りに没頭し、その後、十数年もの間、研究と試行に明け暮れます。

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もとより真珠は自然の偶然による産物。その神秘を操ろうにも努力は容易には成果に結びつきません。赤潮や水温の低下による失敗の連続。容赦ない自然相手に葛藤が続きます。しかし真珠養殖に心身を捧げると心に誓った幸吉には、偉大なる自然をも味方に付けてしまうほどの強固な確信があったのです。そして、とうとうその日が訪れました。1893年7月11日、愛妻うめとともに竹籠を引き上げ、一枚の貝を開いた幸吉は、その手塩にかけて育てた貝のなかに輝く真珠を発見。歴史上はじめて、人が真珠を作り出した瞬間です。

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遂に真珠の養殖に成功した幸吉の探究心はいっそう膨らんでいきます。以前は「存在さえ幻では」と伝えられていた黒蝶真珠と白蝶真珠の神秘的な輝きに魅せられ、それらの養殖に乗り出すことを決意。
1914年、幸吉は沖縄・石垣島に黒蝶貝の真珠養殖場を開きます。執拗に襲いかかる台風など、自然の猛威を乗り越え、1931年、ついに直径10ミリという大珠の真珠を作り出し、「幻」を自らの手に納めます。さらに南太平洋のパラオ島へも多数の研究者を派遣して真珠の養殖に取り組み、大きな成果を上げていきます。
そして、この黒蝶真珠と白蝶真珠を生み出そうという挑戦は、同時に未開であった島々に地場産業を育成することとなり、現在でも多くの島々で「MIKIMOTO」の名が語り継がれるほどに島々の発展に大きく貢献しました。

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「真珠の美しさをもっと身近に感じてもらいたい」と願った幸吉は、1899年、東京・銀座に世界初の真珠専門店をオープンし、さらに1906年には、同店を銀座四丁目に新築移転させます。白い石造りで二階建ての洋館として登場した「御木本真珠店」は、美しく品質の高いもの、時代の息吹に鋭敏な幸吉の感性を集約した、ひときわ斬新なものでした。 |
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ハイカラー三つ揃えのユニフォームで、ダンディに装った男性店員の接客。毎月1回、専門のデザイナーが工夫を凝らす店頭ディスプレイの披露。そして幸吉が何よりも心を砕いたのは、ショーケースを飾る最高の品質と完成度の高いスタイルをもったジュエリーの数々…。西洋の「美のあり方」を学び、独自のスタイルに昇華させた「御木本真珠店」は一躍、世の脚光を浴びます。幸吉は自らの思いを着実に現実へと変えて行ったのです。

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