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ミキモトのネックレスの歴史

広告が語るパールネックレス

いつの時代にも知的でオシャレに敏感な女性たちの視線を集めてきた女性ファッション誌。その誌面に、ミキモトはパールネックレスへの美意識や文化的な普及を果たす役割を託してきました。ミキモトの歴史をさかのぼってみると、パールネックレスが広告を通してファッションや文化を生み出していったことが見えてきます。

洋装の仕上げにパールネックレス

雑誌「婦人画報」

1922年(T11) : 雑誌「婦人画報」

ジュエリーを装う文化が国内に広がり始めた大正時代。ミキモトはいち早く日本の女性ファッション誌に西洋の影響を受けたモダンな広告を出しています。
モダニズムが花開き、女性のファッションも大きく変化した1920年代。モボ・モガが出現した頃に、からだを締め付けないドレスやショートヘアに合わせてパールネックレスが愛用されました。
活動的な洋装の仕上げに日本女性の清楚さを漂わせるパールネックレスをおすすめした広告は、なんとも伝わりやすいイラストとキャッチコピーで、当時の女性の気持ちに寄り添うようです。

時代は昭和へと進み、1950〜1960年代に世の中は高度経済成長期を迎えます。一般家庭に電化製品が普及して、生活水準が大きく変化し、豊かになりました。それに伴い、ジュエリーも一般に浸透していきます。ミキモトの広告は単なる宣伝にとどまらず、ジュエリーそのものの魅力や文化的な提案を伝える新たな表現へと移っていきました。

ウエディングドレスにパールネックレス

雑誌「婦人画報」 ご成婚特別号 共同広告/1955年(S30) : 雑誌「婦人画報」

1959年(S34) : 雑誌「婦人画報」 ご成婚特別号 共同広告 / 1955年(S30) : 雑誌「婦人画報」

ミキモトは「ブライダルにミキモトパール」というスタイルを積極的に打ち出すことで、ウエディングドレスにパールネックレスをつけるということが浸透していきます。今でもパールネックレスがお嫁入り道具のひとつとして考えられているのは、この頃のミキモトの広告から始まりました。当時の皇太子殿下、美智子様のご成婚を機に“ミッチーブーム”が起こり、パールネックレスが注目されました。当時まだ珍しかったウエディングドレスにパールネックレスを装うことが、女性の憧れとなっていきます。

1960年頃になるとファッションの流れはオートクチュールからプレタポルテへと移ります。海外ではファッションアイコンでもあったオードリー・ヘップバーンやジャクリーン・ケネディがパールネックレスを愛用するなど、パールネックレスのブームは加速します。

ファッションとパールネックレス

雑誌「婦人画報」

1959年(S34) : 雑誌「婦人画報」

国内でもファッションへの関心が一気に高まり、ミキモトの広告もパールジュエリーとのコーディネートを美しいビジュアルとともに提案しています。当時流行した服のシルエットに合わせて、ブローチとネックレスのバランスが美しいファッション性の高い広告もこの時代ならではです。

また、この頃はロングやドッグ、レースタイプのネックレスと多彩なパールネックレスが生まれ、重ね着けなど自由な着け方でさまざまな装いを演出してくれると紹介しています。

幾通りにも楽しめるパールネックレス

雑誌「ミセス」ミキモト真珠発明75周年の広告

1968年(S43) : 雑誌「ミセス」ミキモト真珠発明75周年の広告

最近のトレンドと思われているロングネックレスのアレンジも、今から50年近く前から紹介しています。紺のワンピースに白いタイツといったお嬢様スタイルの装いに、チョーカー10本分の長いロープを首元と手首に巻いたアレンジ。“幾通りにも変化が楽しめる合理的な新創作”と広告で説明しています。

パールネックレスの新たなスタイルを求めて

ミキモト真珠発明120周年の広告

2013年(H25) : ミキモト真珠発明120周年の広告

大正時代から始まりさまざまなビジュアルでパールネックレスを広告に掲載してきたミキモト。その時代、時代の女性たちの目を輝かせ、お手本となり、パールネックレスを装う楽しさを身近にしてきました。最近の広告では、パールネックレスを身に纏った女性の美しさや新たなスタイルのネックレスを表現したビジュアルで、未来へのメッセージを込めています。

今までも、今も、そして10年後、20年後、さらにその先の未来へ。パールネックレスを装うことで心満たされ、美しく輝く人が世界へと広がっていくことを願い、ミキモトはこれからもパールネックレスの美しさを広告に託して伝えてまいります。