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世界の歴史の中のネックレス

フランス王妃のファッションが火をつけた?〜ヘンリー8世の王妃たち〜

時代を追って王族の肖像画を見ていくと、時として、ドレスや髪形ががらりと変わる現象が起きていたことがうかがえます。そのトレンドセッターとなったのは、各国の王妃たちでした。
彼女たちは自らトレンドを作り出すこともあれば、トレンドをアレンジして広めてゆく役割も果たしていました。そして、その背景にはさまざまなドラマがあったようです。

図1(左):アンヌ・ド・ブルターニュ ジャン・ブルディション画 1503年〜1508年ごろ
図2(右):キャサリン・オブ・アラゴン ルーカス・ホルンボルツ画 1530年ごろ

15世紀末、フランス王ルイ12世の妃であったアンヌ・ド・ブルターニュは、独自のファッションを次々と考案した女性で、今で言うファッションリーダーのような存在だったと言われています。彼女が作り出した様々なスタイルは、フランス国内のみならず、16世紀初頭のヨーロッパ諸国にも多大な影響を与えたそうです。その代表作と言えるのが、 別名“アンヌ・ド・ブルターニュのキャップ”とも呼ばれる“フレンチ・キャップ”です(図1)
この“フレンチ・キャップ”は、15世紀末から16世紀初頭にかけて、多くの国で広く流行したと言われています。しかしながら、イングランド王ヘンリー8世の最初の王妃だったキャサリン・オブ・アラゴンは、この流行に染まることなく、先代のエリザベス・オブ・ヨークゆかりの、ゲーブル形と呼ばれるキャップをかぶり続けました(図2)

図3:アン・ブーリン 作者不詳 1533〜1536年ごろ

ところが、このキャサリンは、自分の侍女によって、存命中に王妃の座から追い落とされてしまいます。 キャサリンを追い払い、代わってヘンリー8世の2番目の妃となったのが、アン・ブーリン(図3)でした。

アン・ブーリンの装いを見ると、前王妃のキャサリンよりも、フランス王妃のアンヌに似ています。それを特徴付けているのが、キャップです。アンはイングランド王妃となったのに、なぜ、イングランド伝統の装束ではなく、30年も前のフランス王妃が考案したキャップを身に着けているのでしょうか? 
アン・ブーリンは駐仏大使の娘だったため、少女期をフランス宮廷で過ごしたそうです。一説によると、アンヌ・ド・ブルターニュの娘の侍女をつとめていたとも言われています。自分がイングランドに持ち帰ったフランススタイルを装うことによって、前王妃キャサリンの色を塗り替えようとしたのかもしれません。

ところで、図3のアンは、真珠をたくさん身に着けていますね。キャップやドレスの縁に真珠を縫いつけ、イニシャルペンダント付きのパールチョーカーを飾り、ストマッカー(胸当て)の内側にロングパールネックレスの先端を垂らしています。それまで女性がストマッカーの内側に垂らしていたジュエリーと言えば、お守りの意味合いのあるペンダントが多かったのですが、アンのこの装いは、そういう意味合いよりも、真珠のあしらいを揃えて、装い全体に統一感を持たせることに重点を置いたものに見えます。
実は、当時のコルセット(※当時はヴァスキーヌと呼ばれていました)は近代のように柔らかいものではなく、鉄や骨でできた、かなり硬いものでした。そのコルセットで締めた胸元の内側にパールネックレスを垂らすのは、さぞ痛かっただろうと思われます。痛みを我慢してでも美しく装いたかった…ということなのかもしれません。そんな我慢の甲斐あってか、キャップからジュエリー、ドレスに至るまで、生地の色と真珠の飾り方が美しく揃い、凛として、とても洗練された装いになっています。

次回は、このイングランドの2人の王妃の娘たちについてのお話です。