SKIP TO CONTENT

世界の歴史の中のネックレス

ネックレスで心情の変化を表現?〜波乱万丈の女王、メアリー1世〜

さて、今回は、前回ご紹介したイングランドの2人の王妃(キャサリン・オブ・アラゴン、アン・ブーリン)の娘たちをご紹介しましょう。
キャサリンは自らの侍女であったアン・ブーリンに王妃の座を奪われた後、数年で病死してしまいます。一方、キャサリンを追い払ったアンが王妃でいられたのも僅か数年。キャサリンが亡くなってまだ半年も経たないうちに、アンは、なんと、処刑されてしまうのです。
その後、イングランド王室の王妃、女王たちのファッションはどうなったのでしょうか? 中にはキャサリン・オブ・アラゴンのような昔ながらの装いに戻る貴婦人もいましたし、流行の兆しを見せ始めたスペインの織物を取り入れる女性も現れました。但し、多くの女性たちは、アンと同様の“フレンチ・キャップ”を着け続けました。

図1(左):メアリー1世(少女時代) マスター・ジョン画 1544年ごろ
図2(右):エリザベス1世(少女時代) 作者不詳 1546年ごろ

キャサリンの娘メアリー1世(図1)、アンの娘エリザベス1世(図2)の少女時代の肖像画をご覧ください。いずれもアン・ブーリンが亡くなって10年近くも経った頃のものですが、前回ご紹介したアンの肖像画とよく似たデザインのキャップをかぶっています。パールネックレスの装い方も、ドレスとの統一感も、アンとほとんど同じです。

アンの娘であるエリザベス1世が母譲りのスタイルを選ぶのは当然としても、母キャサリンを追いやったアンやエリザベスを憎んでいたといわれるメアリー1世までもがアンと同じ装いであるのは、少し不思議な気もします。ただ、この絵が描かれた頃のメアリーの立場は非常に不安定でしたから、ドレスの装い方にさえ自分の意思を通せる状態ではなかったのかもしれません。

この時からさらに10年後、イングランド女王に即位したメアリー1世は、母の故郷でもあるスペインの王太子フェリペ2世(後のスペイン国王)を夫に選びました。メアリーがフェリペと過ごした時間はごく僅かでしたが、結婚以降は、当時スペインで流行し始めていたスタイルを積極的に取り入れるようになります(図3)

図3:メアリー1世(即位後、結婚した頃) ハンス・イワース画 1554年

この絵では、メアリーの胸元に着けられた巨大なブローチ(※)と真珠に目が行きますが、胸元から肩までを覆ったドレスの襟もとにもご注目下さい。扇形に立てた襟の浅いVゾーンに、2連の真珠のネックレスを覗かせています。注目すべきは、その長さ。それまでの貴婦人たちの装いでは、短めのネックレスといえば、首と肩の境いめ(いわゆるチョーカーの位置)に着けられていました。しかしメアリーは、2連の真珠のネックレスを、チョーカーよりも短いドッグカラーネックレスの位置に着けています。浅いVゾーンにドッグカラーネックレスだけだとちょっと上詰まりで窮屈に感じるところですが、トップに十字架のペンダントを下げて胸元の巨大なブローチと繋がる縦のラインを生み出し、バランスを取っています。キャップの形や髪型も、ドレスの形やボリュームに合わせるように大きく変化させています。
※ 中央の大きなブローチから下がった巨大な真珠は、夫であるフェリペ2世から贈られたもので、後にエリザベス・テイラーが身に着けた“La Peregrina(ラ・ぺルグリーナ)”と言われています。

この肖像画のメアリーの装いは、アン・ブーリンの色をすっかり塗り替えたようにも見えますし、その後に続くスペイン風スタイルの大流行のさきがけのようにも感じられます。ファッションが大きく変化する、ちょうど過渡期の装いと言えるでしょう。

メアリーの異母妹、エリザベス1世の即位後のスタイルについては、回を改めてご紹介します。次回はメアリー1世の治世から時代を少し遡って、フランスとスペインの王妃たちが引き起こした変化について、お話ししたいと思います。