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世界の歴史の中のネックレス

スペイン流ネックレスの着けこなし〜レオノールとイサベル〜

図1(左):クロード・ド・フランス コルネイユ・ド・リヨン画 16世紀
図2(右):レオノール・デ・アウストリア ヨース・ファン・クレーフェ画 1530年ごろ

今回は、前回のメアリー1世の時代から少し遡ります。
16世紀前半のフランス国王フランソワ1世の最初の妻クロード・ド・フランス(図1)は、前々回でご紹介したアンヌ・ド・ブルターニュの娘。母が考案した装束を多少アレンジしながら踏襲しています。ところが、このクロードがわずか24歳という若さで亡くなった後、フランソワ1世と再婚したレオノール・デ・アウストリア(図2)は、クロードとは異なる趣の装いです。
レオノールは、結った髪に宝石や真珠を飾っていますが、キャップはつけていません。

図3:イサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン ティツィアーノ・ヴェチェッリオ画 1548年(没後9年)

このレオノールとほとんど同じ髪型の肖像画を残しているのが、レオノールの従姉妹で義理の姉妹でもあったイサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン(図3)です。

イサベルの髪型はレオノールにそっくりですが、ドレスやネックレスのスタイルはレオノールとはかなり違います。イサベルのドレスのスクエアー・ネックからは刺繍が施された白い肩衣(パートレットと言います)がのぞき、ハイネックの襟には控えめながらフリルのひだ飾りがあしらわれています。パールネックレスはというと、ロングタイプのものをドレスの表に飾り、ネックレスがWラインを描くように大きなブローチで胸元に留めています。

レオノールのスタイルにはイタリアとスペインの影響が、そしてイサベルのスタイルにはスペインの流行が色濃く反映されている(※1)と言われています。特にイサベルの絵に見受けられるフリルの襟やネックレスの装い方は、この後、大きさや形状を変化させながら、ヨーロッパ中を席捲する大流行になって行きます。
当時はスペインの国力が黄金時代を迎えようとしている、その上り坂の時代でした。その頃、多くの女性はまだまだフランススタイルを身につけていた(※2)ものの、ファッションリーダーの役割は、すでにフランスからスペインへと移行しつつあったのです。

この後、パールネックレスは、イサベルのようにロングタイプのものをドレスの上に見せて着けるスタイルが主流となります。そしてその傾向は17世紀半ばにフランスが再び流行の主導権を握るようになるまで、およそ1世紀近くも続くことになります。

※1 レオノールはハプスブルグ家の父とカスティーリヤ(今のスペイン)女王の母との間に生まれ、フランス王のもとに嫁ぐ前はポルトガル王妃でした。イサベルは、そのレオノールの弟であるカルロス5世と結婚し、神聖ローマ帝国皇妃とスペイン王妃という立場にありました。
※2 前回、前々回にご紹介したように、レオノールやイサベルの肖像画が描かれた1530年〜1540年代のイングランドでは、まだフランスのスタイルが好まれていました。