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世界の歴史の中のネックレス

完璧な美の鍵はパールネックレス?〜エリーザベトとヴィンターハルター〜

図1:オーストリア皇后エリーザベト(部分)1865年 ヴィンターハルター画

図1:オーストリア皇后エリーザベト(部分)1865年 ヴィンターハルター画

この絵(図1、2)は、オーストリア皇后、エリーザベトを描いたものです。
日本では 「エリザベート」 という呼び方のほうが有名かもしれませんね。
愛称はシシィ。ヨーロッパ宮廷一の美貌と称えられていました。
それだけではありません。身長172センチでありながら体重50キロ未満を保ち、そのウェストはおよそ50センチと伝えられる、現代のスーパーモデルに匹敵する驚異的なプロポーションの持ち主でした。

これほど美しい女性でも、いえ、これほどの美しさだからこそ、いろいろと気にかけていたことがあったようです。
例えば歯並びの悪さを姑のゾフィー大公妃に指摘されて以来、歯を絶対に周囲に見せまいとして、いつも口元をきつく引き結んでいたそうですし、厳格過ぎるほどの食事制限や、最新の機器を使ってのトレーニング、日に3度の体重の記録管理、そして髪や肌に行っていたという特別な美容法など、まさにプロのファッションモデルばりの日課をこなし続け、その美しさや体形を維持していたと言います。

そんなエリーザベトの美を見事に描き上げたのは、フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルターという画家です。
ドイツに生まれ、パリを拠点に活動していたヴィンターハルターは、イギリス、フランス、オーストリア、ドイツ、ベルギー、ロシア、メキシコなど、錚々たる顔ぶれの王侯貴族たちから次から次へと制作依頼が舞い込む宮廷画家として、当時は広くその名を知られていました。
40年余に及ぶ活動期の後半は、文字通り世界中を忙しく飛び回り、数百枚(※)とも言われる作品を遺しています。
※ 複数枚数の同時注文、リトグラフ、本人あるいは弟子による複製画も含めます。

図2:図1の全体図

図2:図1の全体図

エリーザベトの絵に戻りましょう。
全体像(図2)を見ると、エリーザベトは、金糸刺繍がきらきらと輝くロマンチックなドレスを身に着けています。
後ろが大きく膨らんだスカートは、当時流行していたクリノリン・スタイルです。
クリノリンとは、スカートをふんわりと広げるために発明された下着のこと。針金をフープ(輪)にして繋いだ、ドーム型のカゴのような構造で、この時代、スカートの広がりは、服飾史上最大になりました。
エリーザベトのドレスは、全体に花形の金糸刺繍を施した薄く透けるシルクオーガンジー。この生地のあしらいによって、スカートが軽やかに幻想的に見えています。
後にオートクチュールの父と呼ばれる、シャルル・フレデリック・ウォルトによるデザインです。

このドレスにもエリーザベトの髪にも、オーストリア・アルプスを象徴する花、エーデルワイスから着想した星型のモチーフが無数に散りばめられています。
髪に留められたエーデルワイスの星は、ダイアモンドを使ったジュエリーで、このように個別にも、また、金具で繋げてティアラとしても使えたそうです。まさに豊かな髪の美しさを絶賛されたエリーザベトにふさわしい、オリジナリティ溢れるデザインです。

スポットライトのような光の中に立ち、“斜め後ろに振り返る” エリーザベトのポーズは、ドラマティックですね。
振り返った一瞬をとらえたかのようなこの構図は、ヴィンターハルターが当時のクリノリン・スタイルの特徴を知り抜いたうえで、色の響き合いや光と影の効果を考え、エリーザベトの美しさを最も際立たせるために選んだセッティングだったのでしょう。
ただし、お気づきでしょうか? さりげなく、しかし非常に重要な役割を担っているものが、もうひとつあります。
それは、“パールネックレス” です。
ネックラインに覗かせたパールの艶と影が、肩先の明るい光とのコントラストを強め、肩の稜線が立体的に浮かび上がっています。

今も残るエリーザベトの写真を見ると、彼女は撫で肩だったようです。
撫で肩は、当時の美意識ではエレガントで美しいとされていたのですが、この絵を描いた時のヴィンターハルターは、なだらかな肩のラインをそのままには捉えていません。
むしろパールネックレスと肩甲骨の関係を意識して描くことにポイントを置いているように見えます。
肩先を華奢に見せることによって、スレンダーなエリーザベトのスタイルを、より際立たせているのです。

そもそも宮廷画家は、モデルとなる王侯貴族の美しさや威厳を2割増し、3割増しで描くのが当たり前とも言われますが、ヴィンターハルターの場合は少し違っていました。
彼は、画面の上で大げさな筆さばきをしたわけではありません。その描写はむしろ誠実で、やや全身のバランスを良く見せる以外は、さほど極端な誇張はしていません。

最盛期のヴィンターハルターは、優れた画家であっただけでなく、腕の良い演出家であり、トップスタイリストでした。
モデル自身が 「こうでありたい」 と願う姿に合わせて、本人すら気づかずにいる魅力を見出し、美しく磨き上げる術に長けていたのです。
光の当て方やポーズ、色彩の組み合わせなどが人物の印象をどれほど変化させるかを熟知していた彼は、演出によってモデルそのものを理想に近づけようとしました。
そのために、時にはドレスやジュエリーを自ら選ぶこともあったと言います。
特にパールネックレスが女性の魅力を引き立てる効果については、かなり早い時期から知っていたのではないかと思われます。

図3(左):バーデン大公妃ソフィア・ヴィルヘルミナ(部分)1831年 ヴィンターハルター画、図4(右):バーデン大公妃ソフィア・ヴィルヘルミナと王子ヴィルヘルム(部分)1831年 ヴィンターハルター画

図3(左):バーデン大公妃ソフィア・ヴィルヘルミナ(部分)1831年 ヴィンターハルター画
図4(右):バーデン大公妃ソフィア・ヴィルヘルミナと王子ヴィルヘルム(部分)1831年 ヴィンターハルター画

ヴィンターハルターが20代の頃に描いた、バーデン大公妃ソフィア・ヴィルヘルミナの絵(図3、図4)を見てみましょう。

ヴィンターハルターは、新古典主義の絵画からスタートしたのですが、ソフィア・ヴィルヘルミナの絵の師範となったのをきっかけに社交界に入り、その後、さまざまな画法に触れました。
バーデン大公の宮廷画家に任じられてから描いたこれらの絵には、後のヴィンターハルター・スタイルの要素が多分に見受けられます。
森の暗がりを背景に、正面から明るい光を浴びたソフィア(図3)は、大きく上半身を捻っています。遠くを見遣りながらニ連のネックレスを指で玩ぶその姿は、一体何に想いをめぐらせているのだろうと、見る者の想像力をかきたてます。
一方、髪型、ドレス、表情(視線は別として)は図3と同じでも、図4の絵はずいぶん趣が異なります。
図3のソフィアには気まぐれな少女のような魅力があり、図4のソフィアには静かな落ち着きが感じられます。特に図4では、パールネックレスに捻りの動きがあることによって、黄昏の中、我が子にネックレスを引っ張られても動じず微笑む、ゆったりと満ち足りた “母の愛” が表現されています。

もしもパールネックレスがなかったら、これらの描き分けが難しいだけでなく、絵の魅力そのものが損なわれてしまうことに、ヴィンターハルター自身も気づいていたはず。
パールネックレスがモデルを魅力的に見せるだけでなく、見えない感情や時の表現にまで役立つ “鍵” だと知った時、ヴィンターハルターはどう思ったのでしょう?
新しい画材を手に入れた気分?
それとも便利な小道具を見つけた喜び?
いずれにせよ、女性を美しく輝かせるコツはこれだ!と、感じたのではないでしょうか。

この時以降、ヴィンターハルターは、宮廷から宮廷へ、次々に招かれ、数え切れないほどの王侯貴族たちを描き続ける人生を送ります。
モデルの要望を考慮しながら、多様な演出、あらゆる角度からの描写に挑むうちに、ヴィンターハルターの中には、人物をどの方向から捉えればどのように見えるのか、流行のファッションの特徴を表現するのに適切なポーズは何か、特にパールネックレスをどう使えば女性にどんな美しさが生まれるのか……という経験値が、どんどん蓄積されていったことでしょう。

皇后エリーザベトの美しさに直面した時のヴィンターハルターは、きっと、頭の中のデータベースを探したに違いありません。
引き結んだ口元を微笑みに見せるには? 豊かな黒髪、驚異的なプロポーション、最新流行のウォルトのドレスの素晴らしさを伝えるには?

ヴィンターハルターが導き出したであろう、パールネックレスをポイントにしたスタイリングの手法は、エリーザベトの美を完璧なものに演出しました。
振り返りながら肩越しにパールネックレスを覗かせ、神秘的な笑みを浮かべるエリーザベトの姿(図1、図2)は、今なおヴィンターハルターの最高傑作のひとつとして、人々に愛され続けています。