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世界の歴史の中のネックレス

ネックレスのレフ板効果で大逆転?〜ウジェニーとヴィンターハルター〜

“2割、3割増しの美化は、あたりまえ” と言われていた、王侯貴族の肖像画。
ある王が、お見合い肖像画の美しさに惚れ込んで結婚を決めたものの、結婚式当日に初めて会った(当時はそれがふつうのことでした)花嫁を見て「絵とあまりにも違いすぎる」と怒ってしまった…という逸話もあるほどです。

19世紀中葉に活躍した宮廷画家、フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルターも貴婦人たちを美しく描くことで有名でしたが、彼の場合、その筆はむしろ極めて写実的であり、肖像画はどれも真に迫るものでした。
ヴィンターハルターが他の宮廷画家と異なっていたのは、演出家としての力に優れていたことでした。光と影、色彩の組み合わせなどの効果を熟知していた彼は、光の当て方、適切なポーズ、ドレスの見せ方などによって対象者の美しさを最大限に引き出すことができました。
ヴィンターハルターが手がけたカンヴァスの上には、依頼主がまさに 「こう描いて欲しい」 と望んだとおりの姿が、しかも誰が見ても本人らしく見えるように描かれるわけですから、次から次へと各国の王侯貴族から注文が殺到したというのも当然のことでしょう。

図1:ウジェニー皇后(部分) 1853年〜複数制作(オリジナルは紛失) ヴィンターハルター画

図1:ウジェニー皇后(部分) 1853年〜複数制作(オリジナルは紛失) ヴィンターハルター画

ヴィンターハルターの宮廷画家としての人生を決定付けたのは、オーストリア皇后エリーザベトの絵よりもおよそ12年前に遡る、フランス皇后ウジェニーとの出会いだったのではないかと思われます。

スペイン貴族の家に生まれ、フランスで高い教育を受けた、テバ女伯爵ことウジェニー・ド・モンティージョ(図1)
美貌とファッションセンスに恵まれ、数多くの男性から求婚されたというウジェニー。彼女が他の男性たちを蹴ってプロポーズを受け入れた相手は、フランス皇帝ナポレオン三世でした。
しかし、この結婚は周囲の猛反発に遭ってしまいます。
皇帝を取り巻く、格式を重んじる人々は “新皇帝の妃は王家の出身であるべき” と考えており、王族ではないウジェニーを認めようとしませんでした。やや妖艶とも言える美貌、そして求婚者が多かったことなども災いして、陰口を叩かれ、悪意を向けられたと言います。
ナポレオン三世はその反対を押し切ってウジェニーとの結婚式を強行したうえ、公式声明を発表し、ウジェニーの皇后としての適性を強く訴えました。
それでもノートルダム大聖堂での挙式に祝福の歓声は起きませんでした。
皇帝の声明は無視され、彼女への誹謗中傷は止まなかったのです。

その頃、縁あってフランス宮廷で仕事をしていたヴィンターハルターは、それまでの仕事ですでにヨーロッパ中の王侯貴族から気に入られていましたが、芸術界の中心であったパリ画壇での評価は決して芳しくなく、フランス宮廷の中でも多数のお抱え画家たちのひとりに過ぎないという立場でした。

ヴィンターハルターの作品(図1、3)を、彼の最大のライバルだったというエドゥアール・デュビュッフェの絵(図2)と見比べてみましょう。

デュビュッフェが描いたウジェニー(図2)は伝統的な王族の肖像画の形式に則り、僅かに斜めを向いたポーズ。右手側には王冠が、そして背景には玉座があります。
ウジェニー自身が髪の色に合わせて選んだのでしょうか、濃いマロン色のベルベットのドレスに、美しいドレープを描くパールのレイヤーネックレスが着けられています。右肩から斜めに掛けたサシェには勲章が着けられているのがおわかりでしょうか?
デュビュッフェの絵では、ネックレスのディテールやドレスの金レースは細かく描かれているものの、生地の色は背景のくすんだ茶色の中に溶け込み、そのダークな色調と対比を成す白い肌だけが浮き上がり、目に飛び込んで来ます。
うなじから肩にかけての優美なラインはウジェニーの自慢だったそうですが、そうは言っても、見る者の目を釘付けにするデコルテの印象や物憂げな表情は、20代の花嫁、皇帝の妻の肖像としては、いささかセクシーすぎるようにも思えます。

一方、手元の王冠や背景の玉座、赤い緞帳などの要素はデュビュッフェの絵と同じでも、ヴィンターハルターの絵(図1、3)には若々しく清楚な雰囲気があります。
もちろんドレスの色やティアラ、髪型といった違いもありますが、最も大きな違いはヴィンターハルターが絵を描くにあたって行った “演出” でした。

ヴィンターハルターが描いた背景は権威を表す緋色で表され、マントー・ド・クール(※)の緑色と色彩のコントラストを織り成し、光を浴びたウジェニーを神秘的に浮かび上がらせています。
※ 大礼装用の服。ウエストに止めつけて固定し、裾は長くトレーンを引く。

王族の肖像画としては異例とも言える画面真横からの強い光は、全身に強い陰影を作り出し、ドレス生地の格調高い織り紋様やエレガントなブロンドレース(※)、マントー・ド・クールのベルベットの質感、金の縁飾りといったディテールを立体的に見せています。
※ シルクの光沢のあるレース

特に、光を受けたパールネックレスの効果は絶大。ウジェニーの頤(おとがい)から首にかけては明るさを、顔の周囲には神秘的なハロー(光輪)をもたらす、言わばレフ板の役割を果たしているのです。

図4:図1に、コラム説明のため、加工を加えたものです。

図4:図1に、コラム説明のため、加工を加えたものです。

ヴィンターハルターが選んだウジェニーのポーズも、やはり伝統を打ち破り、顔だけを斜めに振り向かせ、ほぼ真横から体をとらえたもの。
このポージングによってオフショルダーのドレスの胸開きが水平になり、側面から描いたパールネックレスはボリュームを増して見えます。
ネックレスとサシェの繋がりと胸開きの水平ラインがバストの位置を高く見せ、デコルテの肌の分量を最小限に抑えていることにお気づきでしょうか。
初々しさ、上品さといった印象は、この構図から生まれているのです。
ここにはさらに、ヴィンターハルターが注意を払ったに違いない別の意図も隠れています。
ネックレスとサシェは、ティアラの輝きからマントの裾まで繋がる流麗なウェーブラインの一部(図4)であり、このラインが見る者の視線を縦に走らせ、その中央にさりげなく配置した勲章に目を止めさせます。
この勲章はデュビュッフェの絵の中ではほとんど目立っていませんが、実は “スペイン女王マリア・ルイサ貴婦人勲章” というもので、スペイン王家とウジェニーとの繋がりを示唆する重要なポイントだったため、さりげなく、しかしできるだけ注目させる必要があったのです。

ヴィンターハルターの演出は、大成功を収めました。
この絵のウジェニーを見た人々は、花嫁らしい初々しさ、皇后にふさわしい品格や威厳、そしてスペイン王家の威光を見出したに違いありません。これ以降、この絵の複製画がさまざまな場所に飾られるに従い、ウジェニーへの中傷は次第に鎮まっていき、代わって彼女の美しさや洗練された装いの魅力が広く伝えられ、評判を高めていきました。

この仕事に大いに満足した皇帝は、この作品を公式ポートレートと認め、破格の金額で買い上げ、ヴィンターハルターにはフランス宮廷首席画家の地位を与えました。
この “フランス宮廷首席画家” の称号は、ヴィンターハルターにとって単に社会的な地位を意味するにとどまりませんでした。それは、洗練された美しい貴婦人であるウジェニーをモデルに描く許可を得た、ということでもあったのです。

ヴィンターハルターの最高傑作と言われる、「侍女に囲まれたウジェニー皇后」(図5)を見れば、ヴィンターハルターがウジェニーを描いた絵の中には、“ヴィンターハルターが描きたい主題に添ってウジェニーがモデルの役割をつとめた” ものがあったことがわかります。

それは “王族が権威を示すための肖像画を描く” という、従来の宮廷画家の概念を離れた、れっきとした創作活動でした。

アカデミックな評価を得られず悶々としていたヴィンターハルターが、皇后として認められず苦しんでいたウジェニーを救い、その功績がヴィンターハルター自身に新たな創作のチャンスと対象をもたらしたというわけです。

図5:侍女に囲まれたウジェニー皇后 1855年 ヴィンターハルター画

図5:侍女に囲まれたウジェニー皇后 1855年 ヴィンターハルター画

その後、ヴィンターハルターが描いた貴婦人たちの姿には、当時流行のファッションと共に、必ずと言っていいほどパールネックレスが描かれています(図6〜8)

そんなヴィンターハルターのスタイルを、批評家たちは “ファッショナブル” と呼び、さもうわべだけのものであるかのように揶揄しましたが、実はヴィンターハルターは他の誰にも真似のできない領域に達していたのではないでしょうか。
何しろ、彼が使いこなしていたさまざまなメソッドは、ヨーロッパきってのファッションリーダーであったウジェニーとの創作活動を通じて磨いたもの。言わばファッションの天才に触発され、洗練されたものなのですから。

だからこそ、ヴィンターハルターの作品には、ネックレスとデコルテのバランスなど、現代の私たちの装いの中にも生かせる、普遍的な美の法則があるのでしょう。