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小説 フェルメールとの約束

作家・原田 マハさんがMIKIMOTOのために
書き下ろした連載です。
ここでしか出会えない
真珠にまつわるエッセイや
ストーリーをお楽しみください。

Vol.3

フェルメールとの約束

展覧会を観ることができたら、物語を捧げる。
私は、そう約束したんです。フェルメールと。

美術史家で作家の私は、真冬のアムステルダムで途方に暮れていた。
チケットが完売しているフェルメール展を観たいという一心で、
パリから駆けつけたのだが……。

前編

アムステルダム中央駅の正面出入り口から外へ出ると、木枯らしが吹き荒んでいた。

思わずウールのストールを首回りにしっかりと巻き直す。出てくるとき、パリはそう寒くなかったものだから、うっかりシャツの上にコートだけの出立ちで来てしまった。セーターをもう一枚重ねればよかったと思いつつ、後悔先に立たずである。

駅前の停車場で足踏みしながらトラムの到着を待った。バスとかトラムとかいうものはこういうときに限ってなかなか到着しないものだ。もしかすると、待ちわびれば待ちわびるほどトラムの到着が遅れる──という法則があるのかもしれない。それを私が知らないだけで。

ようやくトラムに乗り込んだ。曇った車窓を指先でこすり、流れてゆく景色を眺める。運河沿いに並んだ煉瓦造りの細長い家々が肩を寄せ合い、重苦しく垂れ込めた曇天に抗いながら佇んでいる。

温暖化の影響だろうか、ここのところパリの冬はさほど寒いとは感じない。しかしアムステルダムは底冷えしていた。パリよりもずっと北に位置するこの街は、まだ冬がちゃんと寒い。やはり冬は冬らしくあって欲しいものだ、これはこれでいいじゃないかと、好天に恵まれなかった悔しさをごまかそうと、自分で自分に言い聞かせるうちに、ムゼウムプレイン(美術館広場)に到着した。

停車場は道の真ん中にあった。通りの南側には見通しのいい広大な芝生の広場があり、オランダが世界に誇る三大美術館がその周辺に集まっている。アムステルダム市立美術館、ファン・ゴッホ美術館、そしてアムステルダム国立美術館。この三館がひとところに堂々と会している情景は、いつ見ても壮観のひと言である。

通りに沿って国立美術館のバナーが風にはためいていた。何かの絵画の一部──横向きの女性の首回りの部分が極端に大きく引き伸ばされてそこに印刷されている。いかにもなめらかそうな肌、首の回りに連なる真珠のネックレス。そして耳たぶに下げられた大きな真珠のイヤリング。真珠の円の中心で光の粒が静かな輝きを放つ。真珠は絵画の主題ではない、描かれているのは女性のポートレイトである。それでもディテールをひと目見ただけで、通りを行き過ぎる人々はその絵の作者が誰なのかわかる。──ヨハネス・フェルメールだ。

西洋美術の歴史の中で、真珠をつけた人物像を描いた画家はあまたいる。しかし真珠を、そのささやかな光を描くことにおいて、フェルメールほどの巧者はいない。彼のあまりにも有名なあの傑作、「真珠の耳飾りの少女」が、人々をしてフェルメールを「真珠の画家」と言わしめた。もちろんフェルメールは女性が身につけた真珠以外にも、「光」を絵画の中に巧みに取り入れて独特の作風を確立したのだが、彼が描く真珠の輝きの気高さ、優しさ、美しさ、およそこの世界に存在する佳きもののすべてを結晶化したようなその光が、なんと言っても人心をとらえて離さない。ゆえに、人呼んで「真珠の画家」。実に名誉な呼称ではないか。

トラムを降りた私は、通りを美術館広場とは反対側に渡ってから、はためくバナーをしばし眺めた。それから、半分途方に暮れ、半分どうにかなるという強気で、広場に臨む好立地にあるホテルの中へと入っていった。

ここまでやっては来たけれど、さてどうしたものか。

私が真冬のアムステルダムまで来た理由。それは、アムステルダム国立美術館で始まったばかりの「フェルメール展」を訪うためだった。

ただし、約四ヶ月間にわたる会期中のチケットはすでに完売。買いそびれた私は、チケットを入手できるあてもなく、とにかくここまで来てしまったのだった。

三日まえ、夜八時過ぎ、パリ。

私の書斎の窓をコンコン、と叩く人がいた。〆切間近で、ホラーじみた物語を必死になって書いている真っ最中だった私は、ぎょっとして我に返った。

恐るおそるカーテンを開けると、自転車にまたがって、近所に住む友人、ステファニーが手を振るのが見えた。私は急いで窓を開けた。

「通りかかったら、部屋に灯りがついてて、あ、帰ってきたんだなと思って。いつ来たの?」

勤務先から帰宅する途中だという。彼女はルーヴル美術館近くにあるオフィスまで自転車通勤しているのだった。

「先週末に来たの。三ヶ月ぶり。寒いでしょ、入ったら? ちょっと寄っていきなさいよ」

美術史家で作家の私は、日本とパリとを行ったり来たりの生活だった。ステファニーとはルーヴル美術学校に通っていたときからの知り合いである。といえば聞こえがいいが、私は単なる夏季講座の聴講生、彼女はれっきとした卒業生でディプロマも持っている。現在の勤務先はフランス国立美術館修復研究センターだ。美術に関してはプロ中のプロである。

「今年は暖冬なのよね。っていうか、今年も、だけど」

私の書斎のソファに落ち着くと、ステファニーが言った。私は冷蔵庫で霜を被りかけていたアルザス産のワインを出してきて、それが冷たすぎることを断ってから開栓したのだが、彼女は暖冬だからちょうどいいなどと言って、愉しんでくれた。

「いいときに帰ってきたわね。先週末、ちょうど始まったところよ。フェルメールの展覧会」

えっ、と私は思わず声をあげて、

「そうか、フェルメールの展覧会……年初にネットで見て、そろそろチケット買わなくちゃって思ってたけど。もう始まったんだ。どこだっけ、ルーヴル?」

「アムステルダム」と言ってから、ステファニーは思わせぶりに一拍おいて、

「行ったのよ、私、オープニングレセプションに」

えっ、と私はもう一度声をあげて、

「ほんとに? いいなあ、うらやましい」

かなり情感を込めて言った。ステファニーは鼻高々、「でしょう」と自慢を隠しきれない様子である。こういうとき、彼女は実に無邪気だ。

「すごくいい展示だったわよ。あれは、ちょっと……アムステルダム国立美術館じゃないとできないな。あんなこと、無理。ルーヴルでもできないね。まあ、よくやったもんだわ」

ずいぶん思わせぶりである。私はますますうらやましさ全開になった。

「どんなふうにいい展示なの? 何がいちばんよかったの?」

「それはちょっとね……」ステファニーは、ますます思わせぶりに言葉を濁した。

「言葉では言い尽くせないよ。それがビジュアルアートってもんでしょ。観なくちゃだめ。とにかく行かなくちゃ。チケット、絶対争奪戦になるわよ。こんなことしてる場合じゃないわよ、早く予約しなさいよ」

さんざん焚きつけて、ワインを飲み干すと、じゃあまたね、と行ってしまった。

私はすぐにネットで「フェルメール展」「チケット購入」のキーワードで検索を開始した。ステファニーの言う通り、チケット争奪戦になることは火を見るよりも明らかだった。現在、世界中でフェルメールの真筆だと確認できる作品はわずか三十五点ほどしかない。そのうち二十八点が今回の展覧会に集まるらしい。それがどれほど大変なことか、美術の世界に身を置く者であれば容易に想像できる。フェルメール作品の所蔵先はほとんどが美術館なのだが、どの美術館にとってもそれは至宝である。多くの来館者がフェルメール目あてにやって来るので、所蔵館としては期待を裏切るわけにはいかない。また、たとえほんのわずかでも作品を動かすことに所蔵館は臆病にならざるを得ない。壁から外し、移動用クレートに入れ、車に詰め込み、飛行機に載せ、アムステルダムまで旅をさせるのには、さまざまなリスクが伴う。わずかな振動が加わっただけでも、オリジナルの絵の具が剥離してしまわないとは誰にも言えない。また、さらに恐ろしいのは、ほんのちょっとの人的ミスや天災や事故という予測不能のアクシデントによって、作品が永遠に失われてしまう可能性がゼロではない、ということだ。所蔵先の各美術館は、作品保護の観点から、いかなるリスクも避けることをまず第一に考える。それはどういうことかというと、「貸し出さない」ということなのだ。

だからフェルメールの現存作品三十七点中二十八点がアムステルダムに集結するというのは──つまり全世界にあるフェルメール作品の八割が集められたという事実は、途方もない労力と時間とコストがかかっているということであり、さらに言えば、努力、忍耐、交渉力、政治力、気遣い、情熱、そういうものの一切が注がれてきたからこそ、というわけである。美術館、研究者、実施チーム、関わった人たちすべてのフェルメールへの愛情と敬意が実を結んで、ようやく実現に至ったはずなのである。

これはもう、とにかく行かないわけにはいかない。

私は血眼になってチケットを探した。が、アムステルダム国立美術館の公式サイトはもちろんのこと、あらゆるチケットセンター、旅行代理店、ホテルの「フェルメール鑑賞ステイ」に至るまで、きれいさっぱり売り切れだった。

原田 マハ

1962 年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館への派遣を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなる。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、2006年作家デビュー。2012年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。

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