Skip to Main content
    お気に入りリストは空です。

Please select a location and what language you would like to see the website in.

VISIT SITE
あの日のエール

作家・原田 マハさんがMIKIMOTOのために
書き下ろした連載です。
ここでしか出会えない
真珠にまつわるエッセイや
ストーリーをお楽しみください。

Vol.7

あの日のエール

いつもあなたと一緒にいる。
忘れないでね、モナンジュ。

七十歳になったのを機に単身パリへ移住した祖母が、
久しぶりに帰ってきた。
杏樹は愛する祖母を空港まで迎えにいく。

タマヨさんの夢。──それは、パリで設計デザインの事務所を運営することだった。

タマヨさんにとってパリに在住するのは初めてのことではなかった。日本の大学の建築学科を卒業後、国立美術学校(エコール・デ・ボザール)の建築セクションに留学。当時、女性としては異例の進学だったらしい。そのままパリの設計事務所に勤務して、同僚だったフランス人男性──私の祖父と結婚した。三十歳のときに娘──私の母が生まれ、母が十歳になる頃に離婚。「パリから引き上げる潮時」と悟って、娘を連れて帰国し、東京にある大手設計事務所に設計士として就職した。男性ばかりの職場で、男性たち以上に仕事をこなしてきたタマヨさんは、とにかくがむしゃらだったという。娘が成人するまでは何があっても踏ん張り続ける、それだけは絶対に、と自分で自分に誓っていたのだと。

六十歳まで勤務したタマヨさんは、定年退職後、母の子育て──つまり私の養育に全面的に協力した。それからの十年間は、子供の私にとってかけがえのない時間となった。と同時に、タマヨさんにとって夢をかなえるための準備期間にもなった。

そんなタマヨさんは、私の五歳の誕生日に母に打ち明けたそうだ。

──杏樹が十歳になったら、私、パリへ移住して、自分の設計事務所を立ち上げようと思っているの。だから、そのつもりでいてちょうだいね。

母は驚きを隠せなかったが、すぐに承知したらしい。どんなに困難な道であろうと、それがいま自分の進むべき道だと決めて歩み続けてきたタマヨさんを、どうして止めることができるだろうか。そう悟ったに違いない。

そうして、見事タマヨさんは夢を実現。いまでは三人のフランス人と二人の日本人の若き設計士たちを束ね、時に彼らに支えられて、設計の現場で仕事を続けている。

私は、七十歳にして夢を実現したタマヨさんに憧れて、設計士となるべく進路を定めた。大学時代にパリのタマヨさんの事務所でインターンをさせてもらったこともある。そのときに、なぜタマヨさんが決して容易ではない設計士の仕事を続けるのか、ようやく知った。

タマヨさんの設計事務所は、サンジェルマン・デ・プレにほど近い十九世紀に建てられた建物の一角にある。アトリエのいちばん奥まった片隅に彼女のデスクがあった。そのデスクの上に、母と私の写真のほかに、雑誌の切り抜きだろうか、昔の写真──後ろ姿の女性の写真がフレームに入れられて飾ってあった。

ひと目で私はその写真に魅せられた。

アルプスかどこか、残雪がある山頂。ショートカットの女性は、登山用の分厚いズボンを穿いて、両手にスノーシューズのようなものを持ち、それを頭上に高く突き上げて立っている。それだけなら、登頂に成功した女性登山家の姿だと誰もが思うだろう。けれど、その写真の女性は特別だった。──上半身が〈裸〉だったのだ。

澄み渡った冬山の風景の中、のびのびと若々しい力がみなぎるすっぴんの背中。登頂の瞬間、達成感ゆえに着ていた分厚いスノージャケットを脱ぎ捨てたのだろうか。ただし、首につけている真珠のネックレスはそのまま。純白の連なりがほっそりした首を飾って、彼女の清々しいエレガンスを際立たせている。とても、とてもすてきだった。

私はフレームを手に取って、しばらくのあいだ見とれてしまった。ふと、タマヨさんがそばへ来て、私の肩をやわらかく抱いた。

──誰だかわかる?

私は首を横に振った。有名人かもしれないが、後ろ姿ではさすがにわからない。タマヨさんは、フフフ、と笑って、恋人の名前を打ち明けるみたいにささやいた。

──シャルロット・ペリアンよ。

シャルロット・ペリアン。冬の星座のように輝くその名前を、私は知っていた。私だけじゃない、建築家、設計士、モダン・デザインを学ぶすべての人が知っているはずだ。

女性建築家の草分け的存在でプロダクト・デザイナーでもあったフランス人、シャルロット・ペリアンは、二十世紀建築界最大の巨匠、ル・コルビュジエに才能を見出され、彼のもとで数々の建築デザイン史に残る作品を創作した。太平洋戦争が開戦される直前の難しい時期に来日し、日本の伝統工芸や民藝と融合した家具やインテリアデザインを伝授した。日本には特別ゆかりのあるクリエイターだ。

原田 マハ

1962 年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館への派遣を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなる。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、2006年作家デビュー。2012年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。

Vol.5 真夏の夜の夢

Vol.5
真夏の夜の夢

Vol.5を読む
Vol.6 ユーレイカ

Vol.6
ユーレイカ

Vol.6を読む
Vol.6 ユーレイカ

Vol.6
ユーレイカ

Vol.6を読む
Vol.8 いつか、相合傘で

Vol.8
いつか、相合傘で

Vol.8を読む