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あの日のエール

作家・原田 マハさんがMIKIMOTOのために
書き下ろした連載です。
ここでしか出会えない
真珠にまつわるエッセイや
ストーリーをお楽しみください。

Vol.7

あの日のエール

いつもあなたと一緒にいる。
忘れないでね、モナンジュ。

七十歳になったのを機に単身パリへ移住した祖母が、
久しぶりに帰ってきた。
杏樹は愛する祖母を空港まで迎えにいく。

タマヨさんは、ペリアンの写真のフレームを私から受け取って、しみじみと眺めた。

──私ね。中学生の時にペリアンの作品を展覧会で見たの。東京のデパートでね。……ル・コルビュジエ、フェルナン・レジェ、シャルロット・ペリアン。いま思えば、偉大な三人のクリエイターの奇跡のような展覧会だったわ。そのときは、その三人がどれほどすごい人たちなのか、全然知らなかったくせに……ペリアンが女性の建築家だって知って、胸が急にドキドキしてきちゃってね。もちろん、作品はすばらしかったわよ。でもね、十三歳かそこらの女の子には、女性の建築家が、こうして、展覧会に出されるほど有名になって、みんなに観てもらえている、っていうことのほうが、グッときたのよね。

それで私、決めちゃったわけ。私もこんな人になりたい、建築家になりたいって。

建築家って建物を創る人だってことくらいしかわからなかった私が、それから猛勉強。大学は、男ばっかりの理工学部建築科に進んでね。その上、なんとしてもエコール・デ・ボザールに行きたい、だなんて……私、とっても恵まれていたわ。だって、いまよりずっと女性にとって難しかった時代に、両親は、私の好きにさせてくれたんだもの。ただしやるなら誰にも負けないくらい徹底的にやりなさい、弱音を吐かずにがんばりなさい──って、エールを送ってくれたのよ。

そうして、二十三歳の私がパリへ発つ日。贈ってくれたの、このネックレスを。あの日のエールを忘れないように、それからずっと身につけてるの。

いろいろなことがあったものだわ。だけどいま、こうして、八十代になったいまも、自分のアトリエがあって、自分のデスクがあって、元気でがんばっていられるのは、ほんとうに幸せなことだと思うわ。

このペリアンの写真、建築雑誌でみつけたの。彼女、山登りが好きだったそうよ。まだ二十代の頃……未来に向かって、さあ、かかってらっしゃい! って堂々とありのままの自分をさらけ出している……エレガンスを忘れずにね。

こういうふうになりたいな。今でも変わらず、憧れてるのよ。

私に教えてくれながら、タマヨさんは自分の衿もとの真珠のネックレスを愛おしそうになぞっていた。

私たちを乗せた車は、首都高速の出口に差し掛かっていた。

タマヨさんは長旅の疲れも見せず、ペリアンの作品を初めて観た十三歳の頃から私がインターンでパリに滞在していた五年まえまで、おおよそ七十年近い思い出の海をたゆたう小舟になって、それは楽しげにおしゃべりしていた。

走り出してすぐ、タマヨさんは、家にたどり着くまでに、あなたに言っておきたいことがあるのよ──と言った。パリから日本へ引き上げるわ、のひと言がいつ出てくるかと待ち構えていたけれど、どうやらそういうことではないらしい。

首都高を降りて下道をしばらく走る。次の信号を左折したら、我が家はもうすぐそこだ。赤信号で車がゆっくり停まったとき、ふいにタマヨさんが私の首にそっと手を回した。

──え?

「よく似合うわ。ほら、見てごらんなさい」

バックミラーの中で、タマヨさんが微笑んだ。私は、ちょっとだけ伸び上がってバックミラーに自分の衿もとを映してみた。

真珠のネックレスが街のイルミネーションをやわらかく弾いて輝いていた。タマヨさんは、いつかのように、フフフ、と笑った。

「いつもあなたと一緒にいるわ。忘れないでね、頑張るのよ。モナンジュ」

タマヨさんは八十五歳で自分の事務所の代表から退き、若い世代にバトンタッチした。「相談役」となったいま、セーヌ川のほとりのアパルトマンで、悠々自適を絵に描いたような一人暮らしを満喫している。

私はといえば、ボザール留学を目指して、フランス語のレッスンと受験勉強に明け暮れる日々だ。

あの日のタマヨさんのエールは、いまも変わらずに私の衿もとで輝いている。

原田 マハ

1962 年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館への派遣を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなる。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、2006年作家デビュー。2012年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。

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