作家・原田 マハさんがMIKIMOTOのために
書き下ろした連載です。
ここでしか出会えない
真珠にまつわるエッセイや
ストーリーをお楽しみください。
Vol.8
いつか、相合傘で
雨がそぼ降るパリの街角。
紗里は、絵の前で
完全に動きを止めていた。
娘の紗里と二人、赴任先のシカゴに移り住んで四か月。
なんとなく元気のない紗里に、私は美術館に行くことを提案する。
後編
中編はこちら大きな絵。──ギュスターヴ・カイユボット作〈パリの通り、雨 1877年〉とキャプションに書いてある。
雨がそぼ降るパリの街角。ひとつ傘の下で身を寄せ合いながらそぞろ歩いている男女の姿が画面手前に大きく描かれている。いましも画面からこちらへと歩み出てくるかのような臨場感だ。その背景では道ゆく人々が傘をさし、肩をすぼめて足早に通り過ぎる。濡れた石畳は冬の午後の光を受けて鈍く光っている。
寒々しい冬の雨の風景のはずなのだが、不思議なぬくもりが絵の中の風景を包み込んでいるのはなぜだろう。それは、きっとこの絵の主人公であるカップルの親密さが画面にほんのりした熱をもたらしているからだろう。
何を見ているのか、ふたりは同じ方向に目線を投げて、なんともやさしい表情をしている。オレンジがかった女性の唇には微笑が点り、左耳に留まった真珠が純白の輝きを放っている。
大きな画面の中で、彼女の唇と真珠のイヤリングはごくごく小さな存在なのだが、それでもそのふたつの無垢な色が画面全体を輝かせているのは間違いなかった。
紗里は絵の前でじっとして、完全に動きを止めていた。私は彼女が絵の中に入っていってカップルと会話しているような気がして、思わず息を潜めた。やがて私は、紗里が泣いていることに気がついた。
私はしゃがんで、しゃくり上げている紗里の肩にそっと手を置いた。
「どうしたの?」
耳もとでささやくと、紗里は、涙をコートの袖でぬぐって、
「傘、貸してあげればよかった」
そう言った。
紗里には気になる男の子がいた。
リアムという名前で、ほかの男子がちょっとした意地悪を紗里に言ったりすると、紗里の代わりにむきになって怒ってくれるんだそうだ。紗里の心は、このところ、どうやらその子のことでいっぱいだったようだ。
下校時に冷たい雨が降り始めた日があった。お迎えのシッターが持ってきてくれた傘をさして紗里が帰ろうとしたとき、リアムが雨の中を傘もささずにひとりで帰っていくのが見えた。いつもは年の離れたお姉さんが迎えにきているのに、その日に限って姿が見えず、どうやらしびれを切らして帰ったらしい。紗里はとっさに自分の傘を差し出そうとして、どきどきしてしまい、できなかった。
リアムは次の日、学校に来なかった。紗里は心配で心配でたまらなかった。その次の日、リアムはちゃんと教室にいた。紗里はうれしくてうれしくて、ずっとリアムの横顔をみつめていた。だけど、やっぱり傘を貸してあげればよかったと、この絵の中の人たちみたいに、ひとつの傘をシェアして帰ればよかったと、その日からずっと思っていたのだ。
「そうだったの」と私は微笑んだ。
「ひとつの傘をシェアする、って、別の言い方があるんだよ。知ってる?」
「知らない」と紗里は鼻の頭を赤くして言った。「なんて言うの?」
ふふっと笑って、私は答えた。
「相合傘、っていうの。アイ・アイ・アンブレラ」
紗里の顔にレースのハンカチのような微笑みがひろがった。
「アイ・アイ・アンブレラ」
紗里が繰り返した。私は愛おしさでいっぱいになって、紗里をきゅっと抱きしめた。
──紗里。そういう気持ちを、恋、っていうのよ。
私の腕の中の紗里は、まだまだ小さな少女だった。けれど、生まれて初めて恋する気持ちが彼女に芽生えたことを、私は祝ってあげたかった。
いつか、相合傘で、あなたも誰かと歩いていく日がくる。
その日まで、一緒にいよう。
外は雪。ホワイト・クリスマスの始まりだった。
原田 マハ
1962 年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館への派遣を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなる。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、2006年作家デビュー。2012年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。

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