作家・原田 マハさんがMIKIMOTOのために
書き下ろした連載です。
ここでしか出会えない
真珠にまつわるエッセイや
ストーリーをお楽しみください。
Vol.9
海からの贈りもの
「有機的な宝石」である真珠には、
他にはないあたたかな光が宿っている。
リタ・碧海・芦花、大学の同窓生三人が鳥羽に集合。
メトロポリタン美術館に勤めるリタが、展覧会の取材のために訪れたのだ。
前編
その1
道がなだらかな蛇行を始めると、陽光を弾いてさんざめく海が彼方に現れた。
右に左にゆっくりとハンドルを傾ける。そのリズムに呼応して水平線がきらめきを放つ。いくつめかのカーブで、助手席のリタがパワーウィンドーを下げ、潮風を呼び込んだ。
「ああ、気持ちがいい。子供の頃によく行った友人のサマー・ハウスを思い出すわ」
リタ・ランスタッドは生まれも育ちもボストン、ハーバード大学大学院で美術史の博士号を取得するまでずっとボストンだったから、生粋のボストンっ子だ。友人のサマー・ハウスはケープコッドにあり、父の運転する車で一時間半のドライブ、到着するまでの時間のわくわくする気持ちが、いま急に蘇った──と声を弾ませている。世界屈指の名門美術館、ニューヨーク・メトロポリタン美術館のキュレーターですら童心に返らせる、魔法のような潮風に、私の心にも入道雲が湧き上がるようだった。
鳥羽駅でレンタカーに乗り、海沿いの道を三十分ほど走って、目的地の石鏡町に到着した。
「もう着いちゃったの?」とリタは、もうしばらく潮風ドライブを愉しみたかったようで、少々残念そうな声色になって言った。
浜辺近くに身を寄せ合うように立っている白く乾いたトタン小屋のひと群れ。その中からウェットスーツを着た小柄な女性が飛び出してきた。おーい、と思いきり手を振っている。リタが気づいて、
「アオミ!」
なつかしい友の名を呼んだ。碧海は浜辺を駆けてくると、ひらりと防波堤を越えて、道沿いに車を停めた私たちのもとまで一直線にやって来た。
「リタ!芦花!うわあ、ほんとに来てくれたんだ!」
私たちは同窓の大学時代そのままに、飛び跳ねて抱き合った。四十七歳、分別あるはずの年齢はこのさい忘れよう。潮風がそんな気持ちにさせてくれる、十五年ぶりの再会だった。
「白い装束を着て現れるかと思ってた。まさか、サーファーみたいな黒いウェットスーツで登場とはね」
思ったままを口にすると、碧海に「That’s so ancient!(古っ!)」と返された。
「それは固定観念ってやつよ。確かに昔は海女さんといえば白装束に水中眼鏡だったけど、今どきの海女は最先端のウェットスーツとフィンで潜るんだよ」
続けて英語で説明した。へえっ、と私もリタも目を丸くした。
「じゃあ、アオミの趣味が100パーセント活かされてるってわけね。あなた、確か年間三十本ダイブしてたよね?」
リタに言われて、「いや、五十本」と即座に修正した。
「ニューヨークに住んでた最後の年は五十五本だったかな。一か月会社サボって、サンディエゴやらフロリダやら遠征したりして……」
「まったく、あなたほどニューヨークのトレーダーライフを満喫していた人はいなかったはずだけどね」とリタ。
「あなたが日本へ行っちゃってから、マンハッタンはずいぶん静かになった気がするわ」
「ま、そりゃ気のせいよ」碧海が笑って返した。
「ちょっと待ってて、着替えてくる。それから、あなたたちの取材とやらにいちばんふさわしい人を紹介するわ。ちゃんと今回の訪問の趣旨も伝え済みだから、いっぱいいい話聞かせてくれるよ、きっと」
日灼けした顔をくしゃくしゃにして笑うと、トタンの小屋へと走り去った。
リタと碧海と私はハーバード大学大学院の同窓生で、かけがえのない学生時代をともに過ごした仲間だ。
リタの専門は中世美術で、いっときオックスフォード大学にも籍を置いていた超秀才である。子供の頃に読んだ「指輪物語」の世界を深掘りしたくて、ヨーロッパ中世美術史の道に進んだという。メットの中世美術部門のキュレーターになってからは数々の重要な展覧会を仕掛けてきた、今や重鎮とも呼ばれる存在。それでも私といるときには中世の重たい鎧を脱いで、学生時代そのままに快活でウィットに富んだおしゃべりに興じている。
私は大学院でジャーナリズムを専攻、卒業後にニューヨークの出版社に就職して、美術雑誌の専属ライターとなった。四十歳になったのを機に独立し、フリーのアートジャーナリストとなって今に至る。東京の実家に帰ることも考えなくはなかったが、アメリカ人のパートナーとのふたり暮らしを満喫しているので、ここまできたらこのままアメリカで暮らし続けるのかな、と思う。
原田 マハ
1962 年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館への派遣を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなる。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、2006年作家デビュー。2012年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。

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