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連載 すべてが円くなるように 原田マハ

作家・原田 マハさんがMIKIMOTOのために
書き下ろした連載です。
ここでしか出会えない
真珠にまつわるエッセイや
ストーリーをお楽しみください。

Vol.9

海からの贈りもの

有機的な宝石(オーガニック・ジェム)」である真珠には、
他にはないあたたかな光が宿っている。

リタ・碧海・芦花、大学の同窓生三人が鳥羽に集合。
メトロポリタン美術館に勤めるリタが、展覧会の取材のために訪れたのだ。

三人の中でもっとも高く華麗な人生のジャンプを決めたのは、碧海だ。──と、そこはおそらくリタも同感だろう。

ハーバード大学経営大学院でMBAを取得した碧海は、ウォール・ストリートに本社を構える大手金融企業に就職、昼夜を分かたず働いて、トップトレーダーとして花開いた。二十代で成功を収めた彼女の総資産は、どこかの国の国家予算規模じゃないかと友人たちにささやかれたりもしていた。いたって気さくなキャラクターはどんなに花形トレーダーになろうと変わらなかった。食いしん坊で、なかでも牡蠣が特別に好きな彼女の究極の夢は「牡蠣の養殖業をすること」。それがいまや、牡蠣どころか素潜りでアワビを収獲する「海女」になってしまったのだから、まったく、人生ってどうなるかわからないものだ。

「『日本に帰ってアマになる』って聞いたとき、なかなかクールな冗談じゃない? って思ったけど。それが、本気だったとはねえ」

碧海の自宅──海辺に立つこぢんまりした、けれど隅々まで清潔に保たれた平屋建ての古民家の居間に落ち着くと、開口一番、リタがそう言った。冷蔵庫から冷えたグラスと缶ビールを取り出してきた碧海は、「ダイビング1本重ねるたびに、どんどんそっちのほうに考えが傾いていっちゃって」と笑った。

結局、世界を揺るがしたあの「リーマン・ショック」の打撃をもろに受けて、碧海は決心したのだった。実存の感覚がない金融の世界で稼ぐよりも、自分の体ひとつで海に潜って、自分の手で岩にへばりつくアワビを採って売るほうが、とてつもない「アクチュアルな生」を感じられるはず。だから海女になろうと。

採りたてのアワビの刺身は果実のように甘く、ツンと鼻をつくほど濃い磯の香りがした。

缶ビールを飲み干す碧海の顔はこんがりとトースト色で、ずいぶんシワも増えたけど、きっと全部が笑いジワなんだろうな、と想像できた。

「こんばんは。碧ちゃん、おるかあ?」

玄関の引き戸が開く音がして、元気のいい女性の声が飛び込んできた。「はあい。おるよー」と碧海も元気よく返事をした。

碧海と同じくらい日に灼けた顔が襖の間からひょこっとのぞいた。続いて年若い女性が、それから私たちと同世代くらいの女性が、ふたり続けて襖の向こうから現れた。碧海は三人を招き入れて、さっそく私たちに紹介してくれた。

「こちらは私の先輩、ベテラン海女の森波留子(もりはるこ)さん。その娘さんの竹本渚(たけもとなぎさ)さん。渚さんの娘さんで、波留子さんのお孫さんの海咲(みさき)さん」

「はじめまして」と三人は声を揃えて挨拶した。

「ハジメマシテ」とリタも覚えたての日本語で挨拶を返した。

「こちらのふたりは私のアメリカの大学時代の同窓生、芦花とリタです。ふたりとも、『真珠』の取材のためにここまで来ました」

三世代の女性たちは同時に顔をほころばせた。

「ようこそ、こんな遠いとこまでよう来とくんなしたなぁ」

波留子さんが言った、お国言葉を耳にして、気持ちがやわらかくほぐされるのを感じた。ほんとうにずいぶん遠くまで来たのだ、私たちは。

自ら企画した展覧会のリサーチのためにはとことん調査し、いかなる場所へも足を運ぶことをいとわない。リタがすぐれたキュレーターである証だった。

〈Pearls: Sacred Mysteries from Middle Ages to Today(真珠:中世から現代まで聖性と神秘)〉

中世の服飾史が専門のリタは、古来、ヨーロッパからオリエントに至るまで広範囲の国と地域で、真珠が宝飾品として珍重され続けてきた歴史を展観する企画をずっとあたためてきたのだという。

メトロポリタン美術館の中世美術のコレクションの中には真珠を使った目を見張るような宝飾品がある。もちろん、真珠が登場するアート作品はメットの宝飾品ばかりではない。世界各国の美術館の収蔵品──王侯貴族の肖像画、〈ヴィーナスの誕生〉のような神話画、そしてかのフェルメールの〈真珠の耳飾りの少女〉など、中世以降、さまざまな絵画に描かれている。ネックレス、イヤリング、指輪、髪飾り、帽子、ドレス──画家たちは真珠の神秘的な輝きをカンヴァスに写し取ろうと絵筆の妙技に磨きをかけてきた。真珠の輝きには、宝石の輝き──たとえばダイヤモンドのような鉱物の持つ鋭い輝きとは異なる繊細さがある。リタいわく、真珠は「有機的な宝石(オーガニツク・ジエム)」。だからこそ、ほかの宝石にはないやわらかくあたたかな光に私たちは魅了されるのかもしれない。真珠には不思議な魔力が潜むと信じられてきたのもうなずける。

リタが古今東西の真珠にまつわるアートについて徹底調査を始めたのは五年まえ。展覧会に出品する作品のリストはほぼ固まった。そして、この展覧会のために彼女が「どうしてもこれだけはやっておきたい」と願ったのが、鳥羽を含めた伊勢志摩への旅だった。

世界中に真珠は存在するが、なんといっても日本の真珠が特別であることを彼女はじゅうぶんわかっていた。世界で初めて真珠の養殖を成功させたのが日本人であることも。その人物、御木本幸吉が「世界中の女性の首を真珠のネックレスで飾ってみせましょう」と宣言したことも。

原田 マハ

1962 年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館への派遣を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなる。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、2006年作家デビュー。2012年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。

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