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連載 すべてが円くなるように 原田マハ

作家・原田 マハさんがMIKIMOTOのために
書き下ろした連載です。
ここでしか出会えない
真珠にまつわるエッセイや
ストーリーをお楽しみください。

Vol.9

海からの贈りもの

有機的な宝石(オーガニック・ジェム)」である真珠には、
他にはないあたたかな光が宿っている。

リタ・碧海・芦花、大学の同窓生三人が鳥羽に集合。
メトロポリタン美術館に勤めるリタが、展覧会の取材のために訪れたのだ。

御木本幸吉が真珠養殖を成功させたのは一八九三年、十九世紀末のことである。彼が「発明」した養殖真珠は、まもなく世界中で知られるようになったが、思いがけない抵抗に遭った。「養殖の真珠は天然の真珠に似せて造った模造品だ」と言われ、二十世紀初頭のパリで三年にわたる「真珠裁判」が行われたのだ。しかし、かえってこの裁判は養殖真珠にとって追い風になった。「養殖真珠は天然真珠と変わらない」と判決され、養殖真珠の正当性が証明されたからだ。

養殖真珠誕生の背景と歴史については、当然ながらリタは綿密に調べていた。が、さしもの敏腕キュレーターにもわからないことはあった。いったい、実際にどうやって養殖真珠は作られるのか?

真珠のすべてを知り尽くさなければこの展覧会は成立しないと考えていた彼女は、調査の助っ人として私に白羽の矢を立てた。

リタから思いがけない提案があったのは、半年ほどまえのことだ。展覧会のアシスタントリサーチャーとして参画してくれないか、あなたのセンスと取材力を貸してほしいのだと。

長い付き合いの中で、彼女が自らの企画を手伝ってほしいと言ってきたのはそれが初めてのことだった。断る理由は何もない。私はふたつ返事で引き受けた。

するとすぐさま、日本の養殖真珠の調査をしてほしいと言われ、リサーチのオーダーリストがメールで送られてきた。

その中に「鳥羽・伊勢志摩取材への同行」というのがあった。それを見てすぐ、リタが望んでいるふたつのことにピンときた。

ひとつは、日本の養殖真珠のふるさとを実際に見たい。もうひとつは、かの地で海女になった友に会いたい。

『そうでしょ?』とメッセージを送ると、『BINGO!』とひと言だけの返事がきた。

私はさっそく碧海にコンタクトした。さすが我が友、リタの要望を瞬時に理解してくれ、段取りを開始した。先輩海女の波留子さんに事情を説明し、私たちの調査のためにとっておきの人物を紹介してくれることになった。

そのとっておきの人物というのが、渚さんと海咲さんだった。

ベテラン海女の波留子さんは、漁師だった夫を早くに亡くし、ひとり娘の渚さんを「海に潜った稼ぎで」育て上げた。潜りの技術もアワビをみつける勘も「神がかってる」と碧海は尊敬のまなざしで彼女を称賛する。いまの自分の「アクチュアルな」目標は波留子さんのような華麗な潜りの達人になることだと。

波留子さんの娘、渚さんは生まれも育ちも進学も鳥羽で、結婚相手も鳥羽出身の高校時代の同級生。そして就職したのはやはり鳥羽にあるミキモト鳥羽工場。この地域から一歩も外へ出ず、「この場所を世界中のどこよりも居心地のいい場所」と信じて今日に至る。工場では、デザイン画を基に選りすぐりの真珠を使って宝飾品に作り上げていく作業に従事している。いわば「真珠ジュエリー製作の職人」だ。

そして渚さんの娘、二十二歳の海咲さんは、ミキモト真珠養殖場に勤務する「養殖真珠の職人」である。日々、養殖真珠を育てるための作業にかかわり、養殖真珠が誕生するまでの工程のすべてを知っている。ちなみに、渚さんも就職直後は養殖場勤務からスタートしたいわば真珠のベテランだ。いまでも人手が足らない繁忙期にはヘルプに入ることもあるらしい。

なんということだろう。碧海は、まさに私たちがいまいちばん会いたかった人たちに、こうして会わせてくれたのだ。しかも、いきなり引き合わせるのではなく、彼女たちの緊張をほぐすべく宴会までセットして。

「まったく、アオミ、あなたって人は……」

リタが青い目をくるりと回して、ため息をついた。

「ほんっとに、最高なんだから。昔もいまも」

海の申し子のごとき女性たちと、思いがけずにぎやかな女子会となった。波留子さんはアワビや岩牡蠣、市場で予約して買ってきたという伊勢海老までをクーラーボックスから取り出して、私たちの歓声を誘った。渚さんと海咲さんがそれらを炭火コンロで焼いて、忙しくビールを注いだり、日本酒を開栓したり、精一杯私たちをもてなしてくれた。

パチパチはぜる炭火の上で、アワビと牡蠣がジュージューと音を立てる。香ばしい磯の香りが部屋いっぱいに漂う。リタは牡蠣の殻に溜まった焼き汁を吸い上げて、「ほんっとに、最高!」と何度も口にしていた。

「私はなあ、アワビでも牡蠣でもアコヤ貝でも、貝がかわゆうてかわゆうて。貝はなあ、海からの贈りものなんよ」

ほんのり酔いの回った目をして、波留子さんが言った。

「貝は、私らの人生の一部なんや」

「もう。お母さん、大げさやで」

渚さんが笑った。それから、言い添えた。

「人生の一部とちゃうやん。人生の全部やに」

海咲さんが肩をすくめた。私と碧海は、目と目を合わせて微笑んだ。リタが私たちふたりに向かってささやいた。

「彼女、なんて言ったの?ねえ、なんて?」

窓の外、澄み渡った夜空にぽっかりと浮かぶ円い月。

その光を映して横たわる海が、穏やかな波音を窓辺に届けていた。

後編 その1へ続く

原田 マハ

1962 年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館への派遣を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなる。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、2006年作家デビュー。2012年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。