作家・原田 マハさんがMIKIMOTOのために
書き下ろした連載です。
ここでしか出会えない
真珠にまつわるエッセイや
ストーリーをお楽しみください。
Vol.9
海からの贈りもの
「有機的な宝石」である真珠には、
他にはないあたたかな光が宿っている。
リタ・碧海・芦花、大学の同窓生三人が鳥羽に集合。
メトロポリタン美術館に勤めるリタが、展覧会の取材のために訪れたのだ。
作業の様子は「移植手術」そのもので、手先の勘も重要なのだろうとわかった。海咲さんはこの養殖場で働き始めて五年目になるが、「ようやく勘がつかめてきた」と言っていた。
「なるほど。養殖を成功させるには、この手術が決め手なのね」
リタがため息混じりにつぶやいた。
「熟練の技がモノをいう、まさに職人技だね」と、見学はこれが二度目という碧海も感心の面持ちである。
真珠は、アコヤ貝の貝殻を作る外套膜ーーつまり「貝ヒモ」の一部が、なんらかのきっかけで貝の体内に入ることで形成される、いわば「偶然の賜物」である。体内に入り込んだ外套膜の一部は、自らを包むように「袋」を作る。その袋の中がキラキラを作る物質「真珠質」で満たされて、やがて袋の中で真珠が形成される。核入れは、この工程を人の手で行うものだ。しかしながら海の中で育てられ、貝自体が自発的に真珠を作るのだから、養殖ではあっても天然の真珠と科学的には変わりはない。
ここへ来るまでに、リタも私も関連書籍やネットで調べて、真珠の形成についてはひと通り頭に入れてきたつもりだったが、実際に養殖の現場に立ち会ってみると、何か神聖な場面を目撃したような心持ちになった。
パソコンもスマホもいかなる電子機器もこの場所にはなかった。青い海と小高い丘と清々しい青空を背景に、素朴な学び舎のごとき建屋で、職人たちがひとつひとつていねいに貝を取り上げ、黙々と手を動かしている。自然の営みと人の手仕事がひとつになって、あの美しい真珠をこの世にもたらしているのだ。
作業場を奥に進むと水場があり、水色の大型ケースにこれから核入れをするアコヤ貝の「母貝」が並べられて水に浸されていた。山内さんの説明によると、春に採苗した稚貝を養殖かごに入れ、海の中で成長するのをじっくり待つ。その間約二年。貝の成長に合わせて養殖かごを変えたり、ときどき水から揚げて貝殻についた牡蠣やフジツボを取り除いたり、健康な母貝に成長するためにケアを欠かさない。母貝に核入れをして再び海中に戻し、真珠ができるまでさらに約二年がかかる。合計約四年が費やされるわけだ。
「大学入学から卒業まで、ですね」私が言うと、
「そう。親心も一緒に育ちますよ」山内さんが笑って応えた。
作業場を出ると、八重樫さんが「御木本幸吉の家に行ってみましょう」と誘ってくれた。養殖場の裏手に小高い丘があり、その上に英虞湾を見渡す幸吉翁の終の住処があるという。住処ばかりではなく、いまでは使われていないものの交番や郵便局まであった。特別に郵便局の中に入れてもらうと、何年まえのものだろうか、昭和なポスターもそのままに、時が止まったような光景が残されていた。
「なぜ郵便局がこんなところに?」とリタが訊くと、
「社員全員の給与がここから支払われていたんですよ。社員はここで電話もできたし、電報もすぐ打てるし。通信センター的な場所だったんじゃないでしょうか」
八重樫さんが答えた。なるほどね、と碧海と私は納得してうなずき合った。
緑陰の下の石段を上って、幸吉翁の邸宅にたどり着いた。世界にその名を轟かせた「真珠王」の家である。さぞかし贅を尽くした大邸宅だろうと想像したのだが、拍子抜けするほどこぢんまりとして、質素で品のいい佇まいだった。それでもこの家を数々のVIPが訪れたのだそうだ。幸吉翁は、きっとそのつど、この美しいふるさとの風景ーー見渡す限りの英虞湾の風景を、客人に自慢したに違いない。
高台から見渡す海原は例えようもないほどすがすがしく、水平線の真上に上がった初夏の陽光を弾いてさんざめいている。静謐で清らかな空気があたりを満たしていた。初めてきた場所なのに、私は、この場所で体験したなつかしい思い出を手繰り寄せるような、不思議な心持ちになって海を眺めていた。
背後で八重樫さんが説明をする声がした。
「幸吉翁はとにかく真珠が大好きで。この家のあちこちに真珠のデザインを取り入れているんですよ。ほら、窓ガラスや屋根瓦に、真珠みたいな円いかたちが見えるでしょう?」
ワオ、ほんとだ、とリタと碧海が声を上げた。私は振り向いた。と、その瞬間、八重樫さんの背後に佇んでいる老紳士と目が合った。
ソフト帽を被り、着物を着て、黙ってこちらをみつめている。私は思わず会釈をした。すると、片手でちょっと帽子を上げて、向こうも微笑みを返してくれた。私は、八重樫さんの近くに歩み寄って、小声で尋ねた。
「今日は別のゲストも来られているんですか?」
え? と八重樫さんは不思議そうな顔になった。私は、「あちらの……」と、老紳士が佇んでいた場所に目をやると、そこにはもう誰もいなかった。
原田 マハ
1962 年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館への派遣を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなる。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、2006年作家デビュー。2012年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。
Back
「すべてが円くなるように」へ戻る