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クラフツマンシップ

クラフツマンシップ

日本で生まれ、世界に育まれたMIKIMOTO独自の美意識。そして、一世紀以上も受け継がれる、卓越した技と熱い眼差し。

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卓越した技を繰り広げ、熱い眼差しを注ぐクラフツマン

1907年、御木本真珠店初の専属工場として御木本金細工工場(現・ミキモト装身具)を開設。熟達したクラフツマンたちは、地金の縁に連続した細かい粒を彫刻する「ミル打ち」や、極小の真珠を隙間なく留める「ケシ定(き)め」、糸ノコを使って切り抜きながら模様を表現する「透かし彫り」などの繊細な技術を駆使し、欧米に匹敵するようなジュエリー製作を実現させました。

Craftsmanship-Designer

一世紀以上の伝統を受け継ぐジュエリーデザイナー

MIKIMOTOのジュエリーデザイナーは入社すると、まず過去のデザイン画をトレースすることからはじめます。このように一世紀を超える伝統をからだで覚えながら「ミキモトスタイル」を受け継いでいます。デザイン画を清書する際は、日本画用の極細の筆と墨を使い、水彩絵の具や色鉛筆で着彩することで陰影までも表現。こうして、まるで本物のジュエリーが置かれているような、リアリティのあるデザイン画が完成します。

ミキモトスタイル

ミキモトスタイル

“デザイン” がまだ “図案” と呼ばれていた時代から、その重要性にいち早く気づいた創業者 御木本幸吉。優秀な職人をヨーロッパに派遣し、当時最先端だったジュエリーデザインや製作技術を習得させました。やがて、日本の伝統的なモチーフをアレンジして真珠を組み合わせたデザインと日本の錺職(かざりしょく)の技に、ヨーロッパの製作技術を融合させた独自の様式「ミキモトスタイル」を確立したのです。

帯留「矢車」

ミキモト真珠島 真珠博物館蔵

帯留「矢車」

ミキモトスタイルを象徴するジュエリー、帯留「矢車」

1937年のパリ万博に出品された帯留「矢車」。帯留のほかにもブローチやリングなど、部品の組み合わせにより十数通りに使うことができる多機能ジュエリーです。アール・デコに日本の美意識を融合させた優美なフォルムには、MIKIMOTOが培った精緻な装飾技術が凝らされています。

ミキモトスタイル確立までの軌跡、カタログ「真珠」

ミキモトスタイル確立までの軌跡、カタログ「真珠」

1908年から1938年まで刊行されたカタログ「真珠」。装身具の歴史や文化などが総合的な観点で編集され、斬新な表紙デザインや新鮮な感覚に満ちた誌面が注目を集めました。掲載されたデザイン画からは、それぞれの年代におけるMIKIMOTOのジュエリーデザインの変遷が見られ、貴重な資料として保管されています。

Mikimoto

クラフツマンによる細工技術

1907年(明治40年)、御木本真珠店初の専属工場として御木本金細工工場(現・ミキモト装身具)が開設されました。
当時の日本の装身具は、指輪・帯留・髪飾り等が代表的なもので、多品種を製作できる総合工場はまれであり、また西洋風のデザインを取り入れたジュエリーを製作できる工場はありませんでした。
御木本金細工工場では、創業当時から欧米のデザインや製作技術を導入し、業界に先駆けて斬新な真珠製品を製作しました。大正から昭和にかけて「ミキモトスタイル」が確立されると細工技術が急速に高度化して、熟達したクラフツマンが増え、ミル打ちやケシ定め、透かし彫りなど繊細な技術を駆使し、欧米に匹敵するジュエリーを製作するようになりました。これらの技術は、クラフツマンの誇りとともに現在へ脈々と受け継がれています。