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円い三日月

作家・原田 マハさんがMIKIMOTOのために書き下ろした連載です。
ここでしか出会えない
真珠にまつわるエッセイやストーリーをお楽しみください。

Vol.2

円い三日月

パリに拠点を持って十年が経つ。
ほぼ二ヶ月おきに東京とパリを行ったり来たりの二拠点生活である。
いくら花の都とはいえ、さすがに慣れてしまいそうなものだが、不思議なことに、いまだにいつ来ても初めて訪れたかのような新鮮な驚きを覚える。
毎朝、アパルトマンの鎧窓(よろいまど)を開けるたびにこの街の美しさに驚き、ドアを開けて通りに出て行くたびにここにいられる幸せを新たに感じる。
この街で生きて、呼吸して、暮らしている。そのこと自体、自分にとって「奇跡だ」といつも思っている。
パリが私にそう思わせてくれているわけじゃない。私が勝手にそう思っているだけだ。
それがパリという街である。

パリの季節のうつろいは、まず、肌で感じる。
春が近づけば空気が緩み、秋になればぎゅっと濃縮された冷気が頬を刺してくる。夏の日差しはかんかんと容赦なく首すじを()きにくる。冬はどんよりとやる気のない太陽が雲の分厚い毛布を被ってなかなか出てきてはくれない。
家から一歩、表通りに出た瞬間、肌にくる空気感。同時に、歴史ある都市だけがもつそこはかとない知性、そこここに漂う美の気配。圧倒的な街の景観の美しさが、この街に特有の空気感をもたらしている。街なかを歩くたびに、なんという街だろうと感嘆せずにはいられない。

そしてもちろん、パリの四季は目に(たの)しい。
早春、花屋の店先で弾けるレモンイエローはミモザの花だ。「さあ、春がきましたよ」とばかりに、どの花屋もフロントローにたっぷりとミモザの花房を並べ、人々の視線を誘う。
とても残念なことに、切り花になったミモザはほんの二、三日で勢いをなくし、しぼんでしまう。それでも買わずにはいられないのがパリっ子だ。ミモザをカゴにたんまり載せて走っていく自転車を街角で見かける、そんな映画のワンシーンのような風景が日常にある。

夏にはセーヌ河岸がビーチに様変わりする。「パリ・プラージュ」と呼ばれるイベント。ヴァカンスで海辺の町へ出かけてしまうパリ市民も多い中、ならばビーチをパリに持って来ちゃえば? と、逆転の発想が実現した。私がパリへ行き来を始めた頃にスタートしたこのイベントは、今ではすっかり夏の風物詩になった。
いつまでも暮れない長い夏のたそがれを、街角のカフェに集まった人々がにぎやかに語らいながら過ごすのを眺めるのも楽しい。ひとりで過ごす時間、だけど孤独じゃない夜。

秋は急には訪れない。街ゆく人を熱烈に抱擁していた太陽の腕が、ゆっくりゆっくり脱力していく。陽光にきらめいていたマロニエの街路樹の緑も、褐色の葉に衣替えし、やがて石畳に長く伸びた家々の影の上へとはらはら舞い落ちる。
通りを歩く人々の装いも変わる。コートを着込んでカフェにたむろし一杯のワインとコーヒーで、やっぱりいつまでも話し込んでいる。

いつの間にか冬になっている。雪が降り積もることは滅多にないけれど、吐く息は白い。
橋のたもとに焼き栗売りが登場する。栗を焼く石焼ストーブからは青い煙が上がって、香ばしいにおいが鼻先をくすぐる。
シャンゼリゼ大通りにはクリスマスマーケットのキオスクが長い列を連ねて、星空がこぼれ落ちたようなイルミネーションが街路樹を彩る。
スーパーではもみの木を買いに来た家族の姿が見られるようになり、父親がツリー用の木を担いで店から出てくると、子供たちは歓声を上げながらその横をすり抜けて駆けていく。

季節のうつろいを追いかけて、私はいつであれ、胸をときめかせて街なかを歩いている。なんであれ、パリとの接点をどこかにみつけられないかと、心密かにわくわく探しながら。

初夏のある日、散歩のついでにちょっとした買い物をした。

パリを代表する歴史的建造物のひとつ、オペラ・ガルニエがある。そのオペラ座からチュイルリー公園へ抜ける「リュ・ド・ラ・ぺ(平和通り)」という(みち)がある。この路は大通りではないが、ヴァンドーム広場、サントノレ通りを突っ切ってチュイルリー公園まで続いている、なんとも見栄えのいい路である。

その近くに「1時間並ばないと買えないクロワッサン」で有名なブーランジュリーがあり、私はその長い列に並んでみた。朝食前に散歩に出かけたので、なかなか空腹だったが、帰宅後のブランチにそのクロワッサンを加えようと思い立ったのだ。

その日の朝に作ったクロワッサンが売り切れたらそこで完売御礼、ということだったので、ギリギリ買えるか買えないか、である。私の直前の人が大量にクロワッサンを買い込んでいたので、かなりハラハラした。
が、ラスト一個を運よく買うことができて、ほっとした。

そのクロワッサンはその名に反して三日月の形をしておらず、大きくてまんまるに膨らんだユニークな形をしていた。クロワッサンというよりもプレン・リュヌ(満月)と呼びたくなるような。

たったひとつきりのクロワッサンを、店のマドモワゼルがていねいにケーキ用の箱に入れて渡してくれた。戦利品を手にして、その場でかぶりつきたいのをぐっと我慢して店を出た。

時計を見ると本当に1時間が経っていた。なんだかすごいものを買ったと気分が高揚して、私はそのまま平和通りをヴァンドーム広場まで歩いて行った。

ヴァンドーム広場はそれまでに何度か訪れたことがある。
そこを通過するだけで背筋が伸びるなんてそうそうないことだが、この広場はそういう場所だ。
ルイ14世の栄光を讃えて造成されたというその円形の広場は、中央にナポレオン1世がアウステルリッツの戦勝を祝って建てた記念柱がすっくと佇んでいる。
広場の周辺には高級宝飾店、ブティック、ホテルが軒を連ねている。
おそらく世界でいちばん誇り高いアドレスなのではないか。

ついぞそんなことをそれまでしたことはなかったのだが、私はそぞろ歩きのままに広場をぐるりと囲んだ高級宝飾店のウインドウをのぞいて回ってみた。
パリでは道ゆく人々が熱心にショーウインドウを眺めているのをよく見かける。
それが靴であれ宝石であれ、ショーウインドウは見られるためにあるのだと、パリっ子はよくわかっている。

ふと、あるショーウインドウの前で立ち止まった。
そこには、清らかな真珠の粒が連なったネックレスがしんと静まりかえって飾られていた。
私はそのネックレスの朝靄(あさもや)のようにやわらかなくすみのない白、朝露に似た(よど)みのない輝きに目を奪われた。そうなるしかない自然の摂理のような円い連なりをみつめるうちに、なぜだか急にふつふつと空腹感が湧き上がってきた。

私の片手にはクロワッサンの箱があった。私は唐突にクロワッサンを取り出してかじりつきたい衝動を覚えた。が、すんでのところで私は自分の欲望をかわした。
さりげなくショーウインドウの前を離れると、私は足早にチュイルリー公園へ向かって歩き始めた。

公園の中に点在している緑色のスチールの椅子に腰掛け、そこまで大事に運んできた箱をようやく開けた。
クロワッサンを取り出し、マロニエの木漏れ日の中でつくづく眺めてみる。
こんな円い、まんまるいクロワッサンがあるということに私はあらためて驚かされた。もう我慢せずに思い切りよくかぶりついた。サクサクの表面、バターの香り、ほんのりした甘味が、たちまち私を恍惚とさせた。

ヴァンドーム広場のショーウインドウの前で、白髪の上品なマダムが、あの真珠のネックレスを眺めながら、優雅にクロワッサンをかじる。
きれいさっぱり食べてしまってから、何食わぬ顔で店の中へと入ってゆく。
見てもいないのに、私の脳裏にはありありとその場面が浮かんだ。

クロワッサンを優雅に食べられる人って、この世界にいるんだろうか。
そう思うと、なんだかおかしくなった。
その想像は、その日いちにち、私の心を円く豊かにしてくれた。

原田 マハ

1962 年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館への派遣を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなる。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、2006年作家デビュー。2012年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。

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